観劇レポート:英国ナショナル・シアター・ライブ『フランケンシュタイン』
- 白須裕子
- 2016年4月27日
- 読了時間: 6分
こんにちは!しらすゆうこです。
コラムページ、記念すべき第1回目の更新です。緊張!(笑)
こちらのページは、読んでくださる皆さんと演PASSメンバーの距離を縮められるような、気軽に読んでいただけるページにしていきたいなと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!
今回は、ちょっとまえに観劇をしてきたので(映画館で観てきたので厳密には違いますが)、その時のことを書いていきます。
長いですが、どうぞ最後までお付き合いください。
池袋にある映画館、池袋シネ・リーブルで4/2(土)~4/15(金)まで公開された、
“ナショナル・シアター・ライブ“を観に行きました。
ナショナル・シアター・ライブというのは、イギリスの国立劇場「ナショナル・シアター」での公演を、手を加えることなく映像に残して全国の映画館で観られるようにしたライブビューイング企画です。(参照:http://www.ntlive.jp/)
これまでにも様々な傑作舞台が公開されてきたのですが、
今回公開されたのは、2011年に上演された『フランケンシュタイン』でした。
私が舞台作品に出演したり手伝っていた時期にすごく応援してくれた大学の友人が、「しらす、これ15日までやってるよ!」と教えてくれたので……、
事前に予定をたて、「2回」観に行くことができました(笑)
なぜ2回も行ってしまったのかと申しますと…
メインキャストであるB・カンバーバッチとジョニー・L・ミラーが、博士(フランケンシュタイン)役と怪物役を公演ごとに交代する「役替わり制」だったのです。
わたしこういうの、気になって両パターン観たくなってしまうんです。
そしてもう一つ理由が。
料金が学生2500円(一般料金3000円)だったのです。これは、映像になっているものを映画館で流す形であることが理由であると考えられます。
私が出演させていただいていた小劇場での舞台や、お手伝いをした舞台のチケット料金、基本的に3000円前後で設定していました。
それに限らず日本の小劇場を中心に行われている演劇公演は、フリーカンパ制(その公演を終えたあと、お客さん自身がその値段を自由に決めて支払うという料金形態のこと)でないケースでも3000円超えるか超えないかが相場(よく設定されている価格)だと私は認識しています。
シェ、シェイクスピアが生まれたイギリスの?最高峰の劇場で…?
ジョニー・L・ミラーやB・カンバーバッチが出る舞台が2500円……?
「2500円は!!安い!!安すぎる!!!(短絡)」
ということで合計5000円で、2パターン鑑賞してきました。
「でも、いくら素晴らしい舞台とはいえ映画館の映像で観るんじゃ、臨場感薄れない?カメラの画角に捕われて、みたいところが自由に観れなくない?ストレスじゃない?」と、観に行く前の私はふと思いました。
これは劇場やホールに行って舞台作品だったりコンサートなどを何回も観てきた人にならわかることかもしれません。
実際私も、ライブビューイングの形で劇を観るのは初めてでした。
ということで、
イギリスの国立劇場で繰り広げられる舞台はどんな雰囲気なのか。
カメラに撮った映像を見てもちゃんと満足感を得られるのか。
このあたりをきちんと検証するため、誰も誘わずに一人で映画館に足を運びました。
(うそです、演PASSメンバーの大舘さんを誘いましたが都合がつかず、泣く泣く一人で行きました)
結論からいいますと、キャスト陣の演技やセットの使い方やダイナミックな機動演出、音楽のすばらしさに圧倒され、②を気にする余裕なんてなかったのが正直なところです。
(オイッいいのかそれで)
もちろん天井から舞台奥まで全部を視覚に収めることは叶いませんし、距離の離れた人物を同時に観ることも難しいのですが、
「ただの劇場記録映像」に落ちるようなことは全くない、と私は気づきました。
むしろ観客にとってはなかなか難しい「役者の顔を近くでみる」ことや(カンバーバッチかっこ良すぎ問題はありますが)、「進行のうえで見逃してはならない部分をちゃんと見る」ことが可能になりますし、
何より舞台の特徴である「生もの」の状態で観ることはできないにしても、こんな素晴らしい舞台のお値段がこんなにお安くなって気軽にみられるのだから、いいこと尽くしじゃん、と思うに至りました。コスパがいいとうれしいですよね。(笑)
ライブビューイング。最近よく耳にする言葉だし、コンサートやミュージカルなどでもこの方法で公開しているケースが増えています。
いや、それって演劇にも通用するの?「空間」「観客」「演技エリア」の3つが同じ場所同じ次元にないと演劇って成立しないんじゃないの!!?(←持論に近い、他人からの受け売り)と思っていた私ですが、
あながちそうでもないのかなあ、観客の意識の持ちようで、満足を得られるのには変わりはないのかな。と思いました。
近いうち、多様化する観劇の形態についてしっかり調べてみるのもありだなと考えています。
最後に『フランケンシュタイン』を観た純粋な感想を書いて終わります!
舞台はツラ(舞台のへり)が緩いカーブを描くように観客席に飛び出たつくりでした。
その舞台のツラの真ん中で、怪物が一人セリフを言っているシーンが印象に残っています。
ぐるりと周りを観客に囲まれていて、まるで人々から恐ろしいものを見るような冷たい視線を浴びているようでした。
そのシーンは全体としては何気ない場面転換のつなぎのシーンだったのですが、なぜか頭からその時の舞台の見え方が離れられません。
この舞台は基本的に、フランケンシュタイン博士と怪物の二つにキャラクターに同じ量のスポットライトを当てていました。どちらも主役なのです。
どんどん知識や学びを重ねて「人間らしくなっていく怪物」と、理性と人間の権限を忘れものすごい勢いで狂気を見せていき「人間の道を外していく博士」、いったいどっちが人間でどっちが怪物なのか、人間が人間たる条件はどこにあるのか、といったことを主題にしていたのだと思います。
そういった理由で、「役替わり」制は必要だったんだなと思いました。
図らずもどっちも観ることができたので良かったです。
私ははじめにジョニー・L・ミラーが怪物役を演じていた回を観たのですが、生まれ落ちてから様々な絶望的な状況を経て「愛情」を求めるまでに人間らしくなった姿を彼は完璧に演じていました。
しかし次の回を観に行くと、怪物を見捨て狂気に走る博士を演じる彼がそこにいるのです。
きっと公演期間が終わるころには、二人の役者同士で、だんだん動き方やしゃべり方が似てきてしまったのではないかな、と想像してしまいました。
だいぶひとりで白熱してしまいましたが、やっぱり本場の劇場は造りからお金のかけ方(床から火が出る装置があったり)から違うな!と思いました。いつか実際に行ってみたいものです。本当に今回はいいお金の使い方をしました。
いかがだったでしょうか?
コラムページでは今後もこのように、メンバーがおのおの考えていることだったり、発見したことだったり、劇の感想だったりを自由に、そして頻繁に更新していくつもりです!!
本当に長くなりましたが、最後までふわふわとした内容にお付き合いいただきありがとうございました!
次回は誰がコラムを書いてくれるでしょうか?次回更新までお楽しみです!
しらすでした!
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