観劇レポート:『身毒丸』
- 元木葵
- 2016年5月27日
- 読了時間: 4分
初めてコラムを書かせていただきます、元木です。今回は私が大学で受けている、「演劇作品と日本文学の関係について考察する講義」で観た演劇に関してちょろっとお話してみようと思います。よろしければお付き合いください! 講義では、演劇作品を映像で見ながら作品そのものの世界観を理解した上で、その作品が他の古典芸能で表現されると私たちの感じ方は演劇で観た時と比べてどう変わってくるのかを考えていきます。(現段階ではこの流れで講義が進んでいますが、この先どう内容が発展していくのかはまだわかりません) その際に扱った演劇作品は『身毒丸』でした。寺山修司さんと岸田理生さんが共同で脚本を、蜷川幸雄さんが演出を担当されました。この作品の出演者は、藤原竜也さんや白石加代子さんです。藤原さんはこの作品が舞台デビュー作だそうです。
簡単なあらすじを説明すると、 身毒丸(藤原竜也さん)は死んだ母を忘れられない。父が”家族”という体裁を保つために後妻として撫子(白石加代子さん)を迎えますが、身毒丸はそれを受け入れられず拒絶してしまいます。さらに撫子は旦那に女性としてではなく、体裁のための“母”としか見てもらえない……こんな状況が重なったために、撫子の悲しみは募り、のちに撫子は自分に馴染んでくれない身毒丸に悲しみをぶつけるかのように呪いをかけて家から追い出しますが、しばらくすると身毒丸が再び現れ、呪いをかけられた復讐として、撫子の連れ子であったせんさくを殺してしまいます。せんさくの死で父は狂い、”家族”という体制が崩壊。やっと身毒丸と撫子は和解することができ、最後には2人でそういった体制に縛られることのない未知の世界へと旅立って行きます……という。 まず、私はこの作品を直接この目で、さらには劇場で観ることができなかったことを悲しく思っています。映像をみて、照明の当て方、登場人物の個性を引き出す演出の仕方、シーンそれぞれを彩る音楽の使い方など、それらの工夫が凝らされたこんな素敵なアングラ作品があるのか、これは直接観て、作品の雰囲気そのものを体感したかったぞ!と。『身毒丸』は、ただ個性的な舞台であるというだけではなく、家族という形そのものを題材にした、切ない物語であるということが映像を観ていて伝わってきましたが、そこで”切ない”という形容で終わるのは違う気がするという気持ちが生まれました。私が考えたのは、その”切ない”という単語一つで表しきれないような何かを、舞台演出によって表現してい るのではないだろうか?ということ。そう考えると演劇の舞台における照明や音響、道具などの存在は不可欠だし、それら無くして作品の良さは発揮されないのだなぁと。初めてこの作品で演劇に触れたというわけではないのですが、改めて演出のインパクトといいますか、そういったものを認識しました。それに演じる人が加わって舞台というものが作り上げられていく……なんとまあ面白い、面白い! とまあ、こんな感じで講義にて演劇を堪能しました。これから講義では人形浄瑠璃で表現された『俊徳丸』との比較をしていきます。ちなみに『俊徳丸』は『身毒丸』のもとになったお話です。この比較に関してはまたのちのち機会があればお話したいなと思います。 藤原竜也さんや白石加代子さんなど、豪華な俳優・女優陣が携わった演劇作品にもかかわらず、出演した方よりも演出された世界観について長々と話す形になってしまいましたが(笑) 、ぜひみなさんも『身毒丸』を観て(DVD売っていますのでよろしければ!) 、世界観に浸っていただいて、演劇ってこんなにも惹き込まれるものなんだなぁと感じていただければ嬉しいなと……! ここまで読んでくださりありがとうございました。うーん、自分が感じたことを100%文章で表現するのって難しいですね……少しでもみなさんに伝わっていればいいな、と思うのですが…… 読んでくださるみなさんのなかで、まったく演劇に触れたことのない方には演劇に興味をもつきっかけになるような、既に興味がある方へは演劇がもっと好きになるような、そんな記事が書けるように尽力します。
それでは、今回はこの辺りで。 また更新しますのでその際はよろしくお願いします! 以上、元木でした。
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